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らせん 4

†WAIT†です。
オート、バックログ、スキップ機能が仕上がって基本の部分は大体済み。

あとは中身を増やしていく。
しばらくは絵。

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ビジュアルノベルで何がしたいのか、
自分で分からないので少し掘り下げる。
別に描きたいものがあるわけじゃないというか。

とりあえず「ビジュアルノベルをやってみたい」って感じの動機ではある。

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雪山道も元々はノベルゲーム作りたくて始めた事。https://zoyazoya.exblog.jp/30848843/
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■なぜビジュアルノベルか
漫画を描くより時間がかからない。

漫画だと1ヵ月間、きっちりそれだけやっていても20ページぐらい。(背景込みで清書した場合)
漫画は進みが遅過ぎる。(上手くなればスピードは多少上がるけど、ブレイクスルーが起きるほどではない)

他にも色々とフラストレーションがある。

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それがビジュアルノベルだと全部なくなる。

どんな感じになるのか、一度は試しておきたい。

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僕がものを描くとモノローグや会話劇の比率が高くなりがちで、漫画に適していないのもある。

長いテキストを1コマでやるとリズムやテンポが壊れる。
なので数コマ、あるいは数ページに分ける事になるわけだけど、
リズムやテンポが壊れないようにするには相当な尺が要る。

何も喋らないコマ作ったり、
場面転換使って絵的なマンネリが起きないようにする。
するとページ数が増える。

ほんのワンシーンに膨大な手間と時間がかかる。

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ビジュアルノベルなら背景と立ち絵置いてセリフ入れるだけで終わる。
労力は10分の1以下だと思う。

その上リズムは崩れないし、多分効果も漫画より大分高い。

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漫画だと後で中身を直すのが不可能なぐらい面倒くさいのもある。

漫画は見開き単位で構成される。
右側のページ、左側のページがあって、見開きを前提にしたコマ割りをする。

1コマを急遽足すのは難しい。流れが歪む。
1ページを足すのも難しい。(左右が変わるので)
かといって見開き単位で足すのも難しい。あと面倒くさい。

「気に食わない部分を後で直す」が実質できない。
ネーム(下書き未満の状態)の時点で完璧にしておかないと詰む。ネームですら直すのがしんどい。

清書中に粗を感じたら(直せないので)詰む。

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ビジュアルノベルの場合、どこからでも割り込んで修正できる。

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■小説ならどうか
好かん…。

ビジュアルが付かない「ただのノベルゲーム」もやったことあるけど、絵と音がないと全然物足りない感じ。

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文字だけで小説に没入するのは(僕には)難しい。

不登校の時分、少しだけ図書館へ行って本を読んでいた時期があったけど、
「小説」というやつがまるで頭に入って来なかった。

基本的に意味のない情報にしか感じられない。

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吾輩は猫であるとか、旧字体使ってるやつを少し読んだけど最悪な読書体験だった。
上下二段使って小さい文字がギチギチ。

難読文字だらけ。
ええい読めるかこんなもの。

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心理系の本や哲学系の本みたいなのは読めた。
図書館では主にそういうのを読んでいた。
あとGID(当時の性同一性障害)関連で人体の本とか、男女について扱った本。

何が言いたいのか分かるので読める。
意味が分かるので読める。

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漫画だと身も蓋もなく人対人のコミュニケーションなのを感じる。
段取りや信頼関係がある。

小説も然り……のはず。
でも、小説はコミュニケーションを拒否される感じがある。

心理や哲学は「今からこういう話をします」と段取りがある。(一応本にもよるが)
読みやすい。

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小説は、大抵なんか壁打ちしてる人の意味分からん独り言を延々聞かされてる感じ。
聞く準備ができてないのにワーッと喋られるような。
ずっと勿体ぶられているような。

何を言ってるのかマジで全然入ってこない。

不思議の国のアリスとか、赤毛のアンとか、小公女とか、色々手に取ってみたけど尽く合わなかった。
試したやつは全滅。

小説の印象はかなり良くない。

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けどビジュアルノベルはなんでか知らないけど印象が良い。
最古はかまいたちの夜(サウンドノベルだが)。

セカンドアノフェレス HMR TRUE REMEMBRANCE 消火栓 送電塔のミメイ Duolith

UNKNOWN 誰そ彼の陽 不香の花  国シリーズ たねつみの歌 


RPGで心に残る物語って基本ないけど、ビジュアルノベルは別次元の残り方をする。
臨場感がすごい。

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HMR(MMRのパロディ)は、確か「元々テキストだけで作られていたもの」がビジュアルノベルになっていて、
比較としてテキストだけのものも読んだことがある。
味気なかった。

絵と音が付くとこんなに変わるのかと、当時は驚いた。

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小説らしい小説で読めたのは杜子春、蜘蛛の糸。
そのぐらい。

その他解体新書のサガフロ2やアンサガの小説(ベニー松山)や、青空文庫の1984。
何が違うのか分からないけどここらは読めた。

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芥川氏はいい子だと思う。

太宰治の文章は読んでると病気になりそう。

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■重要なのは内容ではなく読み心地(居心地)の良さ
例えば「読みやすい」とか「不愉快ではない」みたいなものの優先度が高い。
もうあとは単純接触効果が大部分を占めるのでは。

エモいとかは興味がない。
話が上手に回収されているかは興味がない。
あっと驚く結末みたいなのにも興味がない。

居心地が悪かったらそもそも結末に到達できない。
話がどう回収されるかにも関心が持てない。

居心地良かったら、その物語は相性問題をクリアしている。
最後によほどぶち壊さない限り、総体として「素晴らしかった」ということになる。

だから僕にとっては居心地が良いかどうかでほぼ全体が決まる。

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■居心地
ノベルゲームであれば「文字表示速度の変更」なんかも居心地に含まれる。

自分に合った速度でなければ、どんな話の内容でもそれどころではなくなる。

アークナイツはそれで詰んだ。
文字スピードが遅い。
リズムが狂う。

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倍速オートモードはあるけど下限が4倍。なんでだよ。
4倍+オート進行は速すぎる。

20万文字前後のストーリーぶっ込んできてノベル部分の手触りが終わってるのは結構意味分からん。

文字は追えなくもないけど、
「文字を読む」のと「物語を読む」のって同じじゃないからな。

こだわりないのかよ、という話になる。
こだわった結果の遅テキスト&下限4倍オートなら知らんが。

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■話のオチというノイズ
ところで「話のオチを付けたがるの」って男性的な感性なんちゃいますか、という感覚がある。
ものによっては無理してオチ付けようとしてるのが散見されるというか。

そうなると物語の必然じゃなくて男性のエゴになる。(それがダメとは言わんが)

女性の作品だと山なし落ちなし意味なしで「やおい」なんて呼ばれるものがあるけどそいつと対比できる。

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学校ではまとめを付けるのを教わるから、アカデミックなノイズのパターンもあるか。

本当に要るんかその結びのまとめは。
習ったからって効果も考えずに結んでないか。

みたいなことを感じる場合もある。

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僕のスタンスは男女との乖離があることから、
その語りはどちらにも振り切らない、どこかフワフワした状態になりがちなのではないか、
という自己分析がある。

どう映るのかは分からん。
タマタマ切る前はもうちょいオチの意識が強かった気がする。

その頃と比較すれば多分結構フワフワしてるはず。

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かげろう氏のブログやおまけ部屋のオチの付け方を見てると、
あのレベルでオチを付けるのは「生理的に難しい」と感じる。

男子の「おもしろ」を感じる。

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かげろう氏の鋭角なツッコミ。

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「オチが付く方がウケがいい」みたいな風潮には稀に辟易することがある。
胃もたれするというか。

■乖離(世間とのズレ)
それを回避したくてわざとオチを抜いたらオチが必要だと言われるような。

飾らない美しさを描いたら「華やかさが足りない」と感想が飛んでくるような。
ボディラインを出さないように描いたら「肉体美が足りない」と言われるような。
淡々とさせると「抑揚が足りない」と返ってくるような。

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男は女をエロく描きたがるし、女は男をエロく描きたがる。

僕は両方の性質を趣味でキャンセルするようにしてる。
すると「足りない」と言われることがままある。

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■抑揚
世の創作物はどうでもいい事で感情が動き過ぎに感じる。

ノれない。
響かない。
疲れる。

僕はそれがしんどくて淡々とさせている部分がある。
漫画で真面目に抑揚を付けようとすると致命的にしんどくなる。(エッセイはふざけた抑揚なので平気だが)

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「強い刺激を求める者は繊細な感受性を失っている」

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僕も同じような認識がある。
過度な刺激の表現は安っぽい印象を与える。

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ボリュームゾーンの「普通」の人らは刺激を求める。

普通の人らには程よい刺激は、感受性が強ければ過度な刺激になる。

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僕が自分の感性に合わせて淡々とさせると漫画的には刺激が足りない感じになる。
そういう世間とのズレがある。

一般的じゃない感性は単に「不足」とみなされる傾向がある。
型から外れているので間違っているというような扱いを受ける。

華やかさ、抑揚、グラマラスが良いとされる世界との、相性の不和がある。

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エンタメ的には大きな起伏やオチが付いている方がいいのは理解できる。
分かりやすさが大衆向けなのも分かる。

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ちゃんとオチらしいオチ(タイトル回収とか含めて)を付けたStellightは男性的だなと思う。
大衆向け。
世俗的。

僕はStellightのオチの付け方の部分は響かなかったけど、
「ゲーム的にヤケにこなれた演出」の方には心打たれた。

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■最低限度のフィジカル
オチとか付けないで、淡々とさせている方が響くというのが、感覚として一般的ではない。

飾らない美しさも、ボディラインを消すのも、一般的ではない。(華奢萌えも削ってある)
そういうものは狙っていても伝わらない。
洗練させても伝わらない。

そもそも理解できる感性が世間にない。

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とはいえ、僕がそれをエンタメレベルにまで昇華しているかというと、そんなことは全然ない。
僕と同じ情緒を理解できる者に響くほどの「最低限度のフィジカルがあるか」というと、そんなことはない。
僕が納得してない。

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切磋琢磨する相手も、それが受け入れられる土壌もないので伸びて行かないのが1つ。
研鑽の方向性が違う。

研鑽を志向する環境にない。

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僕自身がフィジカル(絵の巧さとか)にあまり興味がないのもある。

上手く描けないのがムカつくからやってただけで、上手くなりたいとはあんま思わない。

でも最低限度に届かせるには画力も要る。

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文章表現力も要るけど、ここは才能の限界を感じる。

自分では考えつきもしないテキストを見るとそう感じる。

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銀河鉄道の夜のアニメ映画のエンディングの朗読は脳を焼かれる。

先進的過ぎるにもほどがある。

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みすずの国の人の国シリーズもテキストが圧倒的で、ここには到達できないなぁと感じる。
発想にないことを流れるように表現してくる。

小畑健(ヒカルの碁やデスノートの人)の絵を見て「こんなの人生10周しても届かないだろ」と感じたものだけど、
国シリーズのテキストもそのようなものを感じる。

周回でどうにかなる次元じゃない感もある。

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■居心地の良さという切り口
居心地の良さを求めるのはノベルゲームに限らない。
漫画、映画、アニメにも及ぶ。

戦闘や数字要素の大きいRPGや、謎解き強めのやつにはあんま求めない。(あるに越したことはないが)

そういうわけで、僕が漫画やノベルを作る場合は僕にとっての居心地を重視することになる。
雪山道なら拠点と旅情。(温泉とか)

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これまで遊んできたノベルは、居心地の良さがゲームの主体と考える。

まずは居心地。
起きる事を受け入れる準備ができているから、臨場感が出る。

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「読んでる最中にも感じる良い読後感」という概念。

居心地のことかもしれない。

高相性な個体の感想なので他の人にとっての再現性があるかどうかは謎だけど、
その読後感的なものが居心地を指しているなら、意識的に作ってはいる。

狙い通り効いているのかは謎。

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僕がビジュアルノベルを作るなら、居心地を最大化するような造りになる。

然るに僕にとって「何を書きたいか」は、ノベルを作る場合は気にする必要がない、という理屈に多分なる。

「どんな居心地を作りたいか」が問われる。
「その中で何をするか」「何をすると楽しいか」は居心地で決まる。

「この居心地ならこれをするのが妥当」みたいな順序立てになる。
居心地で物語を牽引したなら、その居心地の軸を維持する。

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■高相性個体 2

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雪山道の物語に10入れようとしてた人。バケットモンタージュ。ちぢめてバケモン。(脱線)

あの取り留めのない物語に10入れる。
というのが僕自身ピンと来てないけど居心地だろうか。

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by zoyazoya | 2025-11-08 08:04 | イグリシス | Trackback | Comments(0)